Begining of 松島商事 〜松島商事との出会い〜
松島商事・・・それは私の青春の始まり
松島商事・・・それは新たな世界の始まり
松島商事・・・あとなんだっけ??

私が松島商事を尋ねたのが今からおよそ10年前・・・
近所のK医療福祉大学をさっさと推薦でパスした後に物件探しにやってきたのが最初だった。。。と思う。
私が探していた物件は
  • ・古いこと、貧乏学生を演出しているところ
  • ・安いこと
  • ・大学から近いこと
としていた。
確か、1件目に見せて貰ったM荘(当時の家賃28,000円)コレが私の学生生活の根城としてイキナリ決定した。。。
中を見た瞬間のあのインパクト、、、 「カビくさっ!!」
古い家屋独特のあの芳香が私の描いていた貧乏学生のイメージとピッタリとはまった。
細部を見ていくと、、、
  • ・ものすごい勢いで閉まる玄関のドア
  • ・逆に閉まる意思のない台所の扉
  • ・レトロな砂壁(何となく、エビ満月を想像する)
  • ・洗濯機の位置が全く"住みやすさ"をムシした配置
もう、ここしかない。
また、松島商事のHさんが私を一目で気に入ったらしく、いろいろと世話を焼いてくれて非常に助かった。
後にメールの名前に平気で「松島の母」という肩書きを使うようになるのは このとき、知る由も無し・・・
Living of M荘 〜M荘に住んでみて〜
さて、ほとんど"ノリ"で決めたM荘、最初のうちはほとんどキャンプ気分で毎日を過ごしていたが、色々と解ってくることがあった。

まずは、大学から近すぎることによる「マイホームの基地化」
友達が増えるに従い、圧倒的に大学から近い我が家を根城とする輩が多く出没し、最終的には帰ってくると「お帰り」と誰かに言われる始末。
たまに知らない人が部屋でゴロ寝していてびっくりしたこともあった。。。
次に訪れる苦難は、「マイホームのルームメイト(人間以外)の増加」だった。

<ゴキ>
まあ古い家屋なので、ゴキが出ることは想像に難くないだろうが、このM荘の場合、その頻度がモノスゴイ。。。
1日1回、多いときは1日2回ほどゴキとの壮絶なバトルを繰り広げ、勝利を収めなくてはならなかった。
何故ゴキは殺虫剤をかけるとこっちに向かって飛んでくるんだろうか。
アレは正直反則だと思う。
私は見た目はかなりガタがいい方だが、あの時だけは「うぅおあぁ〜っ!!」とかいう悲鳴をあげてしまう。。。
しかし、彼とは数々の戦いを繰り広げるうちにある種の「仲間意識」が芽生えていた。
彼とのバトル領域は「マイホーム内」と決まっているので、それ以外ではむやみな戦いはしない。
ちょうど私が帰宅途中に、私の家から出てきてそのままお隣さんのウチに入ろうとしている彼を見つけた。
もちろん、非武装地帯なのでバトルは行わず、「こんばんは」と挨拶をしてすれ違った。
その後の彼の足取りは知らない・・・。

<ナメ>
このルームメイトは2〜3度しかお目にかかっていないレアなヤツだが、その壮絶な登場の仕方が心に焼き付いているため、ここに記しておこうと思う。
なぜか、いつも寝起きに用を足そうとトイレに行くと彼に出会う。
そう。便器の中で。
「おまえ、どっからやってきた??」と驚くものの、私はさっさと用を足したいので、彼にはお別れすることにした。
お別れの方法は、そう。
「ジャァァァ〜〜・・・」
レバーを倒すだけだ。

<その他>
その他にもいろいろ出会ったが、わすれた・・・。

これだけ書くと、まさにある意味遊園地(テーマパークとは言わない)のようなM荘だが、松島商事から様々な援助を受けていた。
  • ◆不具合部分の修理
    たまに松島商事を訪れたときに「網戸が破けてるんですよねー」
    なんてハナシをすると、当日もしくは翌日にはもう直ってる。
    やたらと対応がハヤイ。。。
  • ◆食料の調達
    病気・ケガなどもしたが、そんなときはメシを持ってきてくれた。大変助かった。
  • ◆オプショナルサービス
    ある日、家に帰ると台所に見慣れない物体が。。。
    ナント「瞬間湯沸かし器」が付いているではないかっ!
    サプライズ。。。
他にもいろんなサービスがあった。松島商事のHさんに昔話として聞いてみると良い。
Enjoy of life 〜楽しかった思い出〜
M荘というのは、後に「M荘コミュニティー」と呼ばれるご近所さん的つながりがあった。(というか、作った。)
色々な催し物をやったが、主なところで

<秋祭り>
秋の実りを「勝手に」祝う祭。
アルバイトを死ぬほどやって稼いだ私のポケットマネーを存分に活用して、その時のウマイ物を食い尽くした。

<スキー>
単なるスキーツアーと思っては大間違い。
我々はスキーを「スポーツ」というより「遊び」ととらえ、「いかに楽しくするか」を追及した結果、「鬼(ごっこは付かない)」というテーマに至った。
簡単なルールを説明しよう。
  • ・鬼は私。(常に)
    ・他の人はチームに分かれ、チーム毎に違う役割の担当を作る。
    逃げる役:鬼に雪玉を当てられたら負け。
    ガードする役:逃げる役を最後まで守り通す。(雪玉当たってもOK)
  • ・ゲレンデ頂上から鬼以外は先に逃げ、後から鬼が追っかける。
  • ・大体、逃げる役が転んで、その周りにガードがいるのでそれを目印にバトルを挑む。
    鬼が逆に雪玉を当てられると、その場で30秒そこで待機しなくてはならない。
    ガードvs鬼の対決は基本的に何でもアリなため、滑りながらだと体当たり攻撃をお互いにカマシ合う。(よい子は真似しないように)
2〜3回ほど行うと、私以外のみんながバテバテになるので終了する。
なぜ鬼「ごっこ」が付かないかと言うと、私が待ち伏せ、奇襲、トラップなど数々のイヤラシイ手を使う様が、とても「ごっこ」とは思えないほど怖いかららしい。
M荘での暮らし
先にインパクトのあるハナシばかりした後に、日常のハナシをするのもナンだが、これから松島商事にお世話になる皆さんはココが一番知りたい部分だろうから書こうと思う。

一応、私はK医療福祉大学の学生だったので大学に行かなくてはいけなかったはずだが、大学そっちのけで「社会勉強」ということでアルバイトに勤しんでいた。
週6日、早いときは10時から、遅くとも17時にはバイトを開始し、21時位までやっていた。
「社会勉強」とするだけに、カネを稼ぐと言うより、ホンキで社員になりきって働いていた。
ある時は「売り場管理担当者」、またある時は「チーフ」と誤解される事も良くあった。
月収も仕送りとは別にコンスタントに12万位は稼いでいたと思う。

その甲斐あって、大学3年の時に「このままでは4年で卒業できん!」という瀬戸際まで来たので、しょうがなく1〜2年生に混じって勉強した。(毎日5コマ目まで)
でも、正直大学へ行くのがキライだったため、欠席ギリギリのタイミングで遅刻し、また欠席ギリギリのタイミングでさっさと教室を後にするという事が続いた。
当時の同級生は私の姿をほとんど見ることが無かったらしく、私のことを「レアキャラ」と呼んでいたらしい。
お陰で3年だけで単位を他の人と同じ所まで取り返し、4年からまたバイトに明け暮れた。

4年目には、「卒業研究」というのがあり、通常各教授の下について、ゼミ形式でいろんな事を学びながら1年間かけて研究論文を書き上げるのがセオリーとなっている。
しかし、バイトに明け暮れたい私はポーズだけ一番エライ教授の下に付き、「独自に研究を行いますのでっっ!!」とエラそうにタンカを切り、ゼミに出席しなくてもいいようにした。
そのままバイトに明け暮れてしまい、結局締め切りギリギリ2週間前にやっと「ヤバイ」と思い始め、強行スケジュールを組んでやりきろうと取り組んだ。

<取材>
まずは、松島商事のHさんの旦那さんが私の研究テーマとするところの「たまたま」領域の方だったので、ムリヤリ取材をお願いして論文のネタをかき集めた。
さらに、一応「ポーズ」で下に付いた教授は、かなりその筋では名の通った方だったので、紹介をお願いすると、「その道の第一人者」を紹介して下さったので、そこにも早速取材に出かけた。(In福岡)
とにかく時間がなかったので、岡山から福岡までを1日で往復しながらさらに取材もこなすというハードスケジュールにはなったが、普通ではあり得ないくらいのネタが手に入った。

<文献集め>
文献を集めるのは簡単だが、ほとんどが英文であるために翻訳に時間がかかることが最初から解っていた。
普通にやったら2週間どころか2ヶ月あっても終わらないので、ここは「IT」の力を借りることとなった。
とある教授から借りた二十数万円する翻訳ソフトを借り、さらにアルバイトで貯めたカネにモノ言わせ、スキャナと文字読み取りソフトを買ってきた。
これらを使い、文献をスキャン→スキャンした文書を翻訳→私の論文に貼り付けという荒技を用いて、取材で足りない論文の枚数を稼いだ。

<発表原稿>
またまたハッタリで、「トリをやりますっ!」という事にしていたが、とにかくこれ以上文字を書く事が面倒だったため、ぶっつけ本番で挑むことにした。
結果は、何故か成功。
研究内容が先進的過ぎて誰も付いてこなかったため、「ああ、そうなんだ」という感想しか無かったらしく、質問はほとんど無かった。らっきー。

<結果>
優もらっちゃいました。(2週間で。マジメにやった方、ゴメンナサイ。)
Message for you 〜学生のみんなへのアドバイス〜
・・・とまあ、私のハチャメチャな青春を描いてみたが、誰もコレをマネしろとは言わない。
だた、自分が後で後悔するような事は無いように、精一杯生きて欲しい。
大学の場合は、「とにかく4年で卒業出来る」事がクリア条件なワケで、「後は何でもアリ」だ。
ただし、犯罪はNGよー。
社会に出る前に与えられた最後の自由な時間を楽しんで欲しい。
<著者紹介>
K氏(30代/男性)
大学を卒業後、某有名企業のIT専門グループ企業でSEとして働く。
その企業のネームバリューから大学の就職セミナーに呼ばれたが、「SEは体力です!学校の知識は役に立ちません!バイトして社会勉強しなさい!」という持論を展開したため、教授陣が青ざめて取り繕うというハプニングを起こす。
仕事ぶりは、アルバイトで培った知識・経験をフルに生かし、顧客対応、システム設計など幅広い分野で活躍する。
Hさんに再三「養子に来い」と誘われていたが、結婚したことで、どうにかあきらめたらしい。
PCの修理が特技で、M荘の家賃をPC修理の謝礼としてチャラにして貰ったことが何度かある。
現在、念願の結婚を果たし、子宝に恵まれ豪華な白亜の二世帯住宅を手に入れる。誠に幸運な人生を邁進中。
Voice of 松島商事 〜Hより一言〜
<家主>
K氏と松島商事とは(K氏の私記を読むと)誤解を受けるといけないので説明を加えたいと思います。
入居者と家主という関係でした。
そのおつきあいをしていく中で、より親交を深め人の輪が広がり、多くの人たちが彼の明晰な頭脳とゴールドフィンガーに救われたのでした。
パソコンの指導・修理・ITの伝導という普通ならば高額な報酬を請求されてもおかしくないような事を色々教えて貰えたのは、家主の特権でしょうか・・・
確かに、たまに家賃を代わりに払っといてーと言うようなこともありました。
それに、こんな息子が欲しいなと思っていたのも事実ですが。

<バイト>
K氏の記述を鵜呑みにすると、大変なことになるので付け足しておきたいと思います。
元々、K氏は大学生になる前に既にパソコンを自分で造り、CEとしての技量を持ち合わせておられました。
アルバイトに明け暮れているようなニュアンスを感じますが、それを鵜呑みにしては危険です。
他分野の情報のアンテナを張り巡らし、まさに強者、と言う感じでした。
ただ、のほほんとアルバイトに明け暮れたというのでは無いのです。


まさに"銭金"という感のM荘ですが、時は流れニーズに応えるべきエビ満月の壁はクールなクロスに変わりつつあります。
築年数はどうすることもできませんが、室内は日々進化しつつあります。
古くてもK氏のような楽しむ心が、大事かも・・・。
ところで、M荘を更にバージョンアップした"銭金風"ありますが、いかがでしょうか・・・

<時の流れ>
契約の期間や、契約の回数は様々ですがK氏のように何度も仲介させて頂ける事や、二世代、三世代からのおつきあいという契約も最近は珍しくなくなりました。
「昔もここにコレがあった」というような昔話を聞くのも楽しく、巣立っていかれた方がご活躍されている姿を拝見すると、この地でずっと頑張っているM荘等が誇らしくもあります。

<思い出>
K氏との思いでは尽きることもなく、私の心の中では未だに現在進行形であります。
人生の中の数年をK氏と共に楽しく過ごし、パソコンについて多くの知識と技術を授かりまた、多くの人が同様に救われました。
この繋がりは、まさに巡り合わせ・一期一会だとつくづく感じています。
離れていても、覚えていてくれるそのお気持ちは、不動産冥利に尽きます。
それをバネにまた新しい出会いが素晴らしいモノになるよう、頑張っていきたいと思います。